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光と色、構成に独特の個性を発揮した
カラー写真の先駆者

タカザワケンジ(写真評論家、ライター)

 大胆で意表を突くフレーミングと、油彩を思わせるこってりとした色のりのカラー写真は、「ソール・ライター」という印象的な名前とともに一度見たら忘れられない。しかし、この写真家が脚光を浴びたのは、八十歳を過ぎてから。それまでは知る人ぞ知る存在だった。

Snow (1960) © Saul Leiter Foundation/Courtesy Howard Greenberg Gallery.
Snow (1960)

 ソール・ライターは1923年、ピッツバーグ生まれ。父は著名なユダヤ教の学者で息子がユダヤ僧になることを期待していたが、美術に興味を持ったライターは神学校を中退してニューヨークへ行く。1946年のことだ。当時のニューヨークはジャクソン・ポロックやマーク・ロスコなどの抽象表現主義が台頭しようとしていた頃で、ライターが交流を持った画家のリチャード・パウセット=ダートもその一人だった。しかし、ライターは画家ではなく写真の道に進んだ。パウセット=ダートが写真作品を制作していてライターにも勧めたことと、写真家のユージ・W・スミスと出会ったことがきっかけだった。写真を始めてほどなく、ニューヨーク近代美術館の写真部長だったエドワード・スタイケンに認められ、1953年には、ニューヨーク近代美術館の新進作家展「Always the Young Stranger」に選ばれている。

 しかし、その後、ライターはファッション・フォトグラファーとして「エスクァイア」「ハーパーズ バザー」「英国版ヴォーグ」などで活躍し、アートの世界から遠ざかる。ただし、平行して、自身の作品としてニューヨークや、ヨーロッパのストリートで撮影を続けていた。現在、ソール・ライターの代表作とされているのは後者の写真群だ。

Soames Bantry (1960) © Saul Leiter Foundation/Courtesy Howard Greenberg Gallery.
Soames Bantry (1960)

 ソール・ライターが注目されるきっかけとなったのはドイツの出版社シュタイデルから出た写真集『Early Color』(2006年)だった。『Early Color』は、ソール・ライターが1940年代後半からカラー写真に取り組んだ先駆者の一人であり、その光と色、構成に独特の個性を発揮していることを明らかにした。以後、現在までソール・ライターの写真集の刊行、世界各地での展覧会開催が続いている。

 しかし、なぜ、ソール・ライターが評価されるまで長い年月が必要だったのだろうか。その理由を説明するのは、美術館が長らくカラー写真に冷淡だったことを知っておく必要がある。カラー写真は19世紀末に発明され、その後改良を続けながら、普及していった。しかし、カラープリントは写真家自身によるコントロールが難しく、褪色しやすいという問題があり、作品はモノクロで撮影し、現像からプリントまですべてコントロールするのが、アートとしての写真作品を制作する写真家の条件だった。カラー写真はもっぱらファッション、広告のために使われ、美術作品として認められるのは1975年のウィリアム・エグルストン展(ニューヨーク近代美術館)まで待たなければならなかった。

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 では、なぜ「いま」ソール・ライターのカラー写真が注目されているのか。一つはデジタル技術の進化により、半世紀近く前のフィルムからも美しいプリントが得られるようになったからだ。また、作品の現代性も見逃せない。近年、アートとしての写真はデジタル技術を駆使した構成的な写真や、あえてフィルムや写真の物質性を前面に押し出す抽象的な作品が人気を集めている。ソール・ライターの作品は合成などの後処理はせず、ストレートに撮影した写真だが、カメラを使って現実を構成し、新たな視覚を生み出しているという点で抽象性も持ち合わせている。今後、ソール・ライターに影響されたという若い写真家が多く登場するはずだ。

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 最後に映画について一言。私はこれまで作品を通してしかこの写真家のことを知らなかった。映画を見て、一言ひとこと、立ち居振る舞いに味があり、ああ、こういう人物だからこそ、あの独特な写真を撮れたのだなと納得した。ソール・ライターは同世代のリチャード・アヴェドンやダイアン・アーバスといったスター写真家に比べれば決して派手な存在ではなかった。映画のなかで「大した人間じゃない。わざわざ映画にするような価値などあるもんか」と語っているのは謙遜ではないのである。しかし、生涯を通じて写真に対するスタンスが一貫していたことは、この映画を見るとよくわかる。ソール・ライターは残念ながら2013年に亡くなったが、この映画のなかに記録された生活と意見は、作品とともに後世に残っていくだろう。

タカザワケンジ

写真評論家、ライター。1968年群馬県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。会社員を経て、97年からフリー。『アサヒカメラ』『写真画報』『芸術新潮』 『IMA』などの雑誌に評論、インタビュー、ルポを寄稿。ほかに、ヴァル・ウィリアムス著『Study of PHOTO -名作が生まれるとき』(ビー・エヌ・エヌ新社)日本語版監修、富谷昌子写真集『津軽』(HAKKODA)編集・解説など。